僕は給食を食べたことがない。
こう言うと、決まって周りからは「そんなことないでしょ」「記憶違いじゃない?」という反応が返ってくる。
最初のうちは、自信を持って否定していた。
「いやいや、給食なんてなかったよ。僕が小学生のときはお弁当だった。中学生のときは家が近かったから食べに帰ってたんだ」と。
ところが、誰一人として、給食がなかったという僕の話を信じてくれない。
「私もなかったよ! 一緒だね」という人に、これまで出会ったことがないのだ。
こうなると、だんだんと自分の記憶に自信がもてなくなってくる。
「もしかして・・・そうなのか? 実は僕もみんなと同じように給食を食べてたけど、忘れてるだけ?」
「ヒロノくんは給食で何が好きだった?」
「給食? あー・・・あれかな、揚げパン?」
「あああぁ、揚げパンね。おしかったおいしかった。牛乳どうしてた?」
「牛乳? 普通に飲んでたよ。苦手なの?」
「牛乳嫌いで。でも、こっそり飲んでくれる友だちがいて」
「それ助かるね。あとはやっぱりカレーかな。あの独特の味が好きだったな~」
「わかる。カレーのときのみんなのテンションすごかったよね」
給食に関する話題を振られると、僕はいつの間にか堂々と思い出を語るようになっていた。もちろん、僕自身は噓をついているつもりはまったくない。人から「給食あるある」のエピソードを何度も聞かされるうちに、僕も同じような経験をしたと思い込むようになっていたのだ。
ある日、僕が通っていた小学校のホームページを見る機会があった。
小学6年生のときに校庭の端っこにタイムカプセルを埋めたのだけど、あれは掘り出されたのだろうか? ふと気になり、ネットで調べていると学校の沿革をまとめたページが見つかった。
そのときは、給食のことは特に気にしていなかったのだが、沿革を上から順番にたどっていくうち、衝撃の事実を発見した。
給食が始まったのは、僕が小学校を卒業した7年後だったのだ。
ほらやっぱり。僕は給食を食べていなかった。
その事実を目の当たりにしてから、忘れていた記憶が一気に蘇る。
お弁当箱はステンレス製のシンプルなつくり。母が毎日作ってくれたお弁当は、なんとなく全体が茶色かった。登校中に走ったりしたせいで、お弁当箱の中身が片寄ってしまったり、おかずの汁がご飯に染みていたりしたこともあった。
体操をやっていたTさんのお弁当は、たくさんのおかずがちょっとずつ入っていて、クラスのみんなからうらやましがられていた。確かに僕は、いや僕たちは、給食ではなくお弁当を食べていたのだ。それが事実である。
人の記憶とは、なんていい加減なものだろう。
でも考えてみたら、記憶がデータのように正確だったら、過去の辛い経験や悲しい出来事をいつまでも忘れることができず、人生をまともに歩むことができないだろう。いい加減にできてるからこそ、思い出は楽しく、美しいのだ。